「주님, 정의로운 도둑이 되는 것을 허락해 주세요. (主よ、正義の怪盗になることをお許しください。)」
1996年の年末、ソウルの母方の祖父母の家でゴロゴロしながら時間を持て余していたときのこと。姉がテレビを指差して、こう言いました。
「これ、すごく面白いよ。変身して、事情のある物を盗んで元の持ち主に返す話なの。しかも、好きな同級生の男の子が捕まえようとして追いかけてくるんだよ。」
それが、『천사소녀 네티 (怪盗セイント・テール)』との初めての出会いでした。
日本では週1回の放送でしたが、韓国では吹き替え版が月曜から金曜まで、平日の18時頃に毎日放送されていました。そのおかげで、全4x話という長い作品を当時の私は一気に追いかけることができ、毎日のようにセイント・テール、そして芽美に会うことができました。
余談ですが、『怪盗セイント・テール』は当時の韓国で意外なほどの人気を博していました。視聴率ランキングでも堂々と10位圏内に入り、新聞にも名前が載るほど。視聴率は最高でおよそ25%に達していたので、かなり多くの人に知られていた作品だったと言えるでしょう。
前にも書いたように、私は小学生の頃から日本のアニメを見ていました。
ただ、『怪盗セイント・テール』がそれまでの作品と大きく違っていたのは、ちょうど我が家で新しいパソコンを買い、PC通信を使い始めた時期と重なったことでした。

今となっては「PC通信」と説明しても少し分かりにくいかもしれません。簡単に言えば、インターネットが普及する前の、文字を中心としたオンラインサービスのようなものです。ただし、サービスごとに運営会社が分かれていて、同じサービスに加入している人同士で交流ができる仕組みでした。
韓国では「천리안 (チョルリアン)」「나우누리 (ナウヌリ)」「하이텔 (ハイテル)」という3つのサービスが特に有名で、その時期はチョルリアンが会員100万人突破を祝うほどの規模になっていました。その後、2000年頃から韓国全国でインターネットが一気に普及し始めると、PC通信は徐々に衰退していくことになります。
それまでは、テレビで吹き替えられたアニメを見て、同じ趣味を持っていた姉や学校の友達と少しアニメの話をする程度でした。
ところが『怪盗セイント・テール』をきっかけに、PC通信のファンクラブや同好会で全国のセイント・テールのファンと交流し、情報を探し、吹き替え版ではなく日本語版のオープニングや本編、楽曲などに触れることができるようになりました。
さらに、ソウルの「ボッタリ商人」と呼ばれていた、日本から商品を仕入れて韓国で販売する業者から、仲間が『怪盗セイント・テール』のアルバムを買って、私のところへ送ってくれました。(代金は銀行振込で支払い)
これが、私が生まれて初めて手にした日本アニメの音楽CDでした。もちろん、今でも実家で大切に保管しています。

どんな世界にも、先を行く「できる人」がいるものです。マニア、あるいはオタクとでも言えばいいのでしょうか。
当時、アニメ雑誌『Newtype』の記事や『怪盗セイント・テール』のCDに関する情報などを翻訳して整理した文章を見かけることがありました。
それに影響された私も、『怪盗セイント・テール』の情報を集めて、一つのテキストファイルにまとめ始めました。
その名も――
「천사소녀 네티 사전 (天使少女ネティ辞書)」。
今振り返ってみれば、実に粗末なものでした。
それでも1997年から1998年までの2年間、新しい情報を見つけるたびに追加し、インターネットやPC通信で情報を探し、内容を分析し、整理して、一冊のファンブックのようなものに仕上げていきました。
この経験は、今振り返ってみてもかなり大きな財産だったと思います。
私が作ったファンブックには、なんと「台詞集」までありました。
『怪盗セイント・テール』をVTRに全話録画し、登場人物の台詞を一言ずつ聞き取り、それをすべてキーボードで入力していったのです。
全40話分。
今考えると、我ながら「よくそんなことをやったな」と思います。
しかし、そのおかげでキーボード入力はかなり速くなりました。当時、田舎の中学生だった私が、大学生レベルとも言われていた「ワープロ検定1級」を取得するうえでも、大きな助けになったと思います。
この時期――中学1~2年生だった私は、まさに典型的な思春期の少年でした。
そして、「本業と趣味のバランス」をうまく取ることができなかった時期でもあります。
学業成績も、この頃が人生で最も落ち込んだ時期でした。両親にはかなり心配をかけたと思います。
小学生の頃は、授業中に集中して、家に帰って宿題をやり、問題集を少し解いておけば、それなりの成績を取ることができました。
しかし中学生になると、勉強にかける時間を増やし、学習方法そのものを一段階アップデートする必要がありました。
ところが私は、どうやって勉強に時間を割けばいいのか、どうすれば勉強と趣味を両立できるのか、その経験がありませんでした。
両親や周囲の先生たちも、「もう中学生なのだから、アニメはそろそろ卒業して勉強に専念しなさい」と考えていました。
そのため、何かにつけて衝突や葛藤が起こりました。
決して楽な時期ではありませんでした。
けれども、今振り返ってみると、学業と趣味のバランスを探すために試行錯誤を繰り返したこの「手探りの2年間」は、私の人生にとって必要な経験だったのかもしれません。
2年間、あれこれ迷いながら悩み、試しては失敗し、またやり直すことを繰り返した。
その経験があったからこそ、その後、学業と趣味の両方を発展させていく今の自分につながったのではないかと思っています。
もちろん、当時のもどかしい私を心配し、どうすればよいのか一緒に悩んでくれた両親や先生方には、今でも感謝しています。
そして物語は、1999年――あさよう中学3年生の時代、『カードキャプターさくら』(韓国では『カードキャプター・チェリ』)へと続いていきます。

