カードキャプターさくら―作文と日本語に目覚めるきっかけ(1999年)

「CLAMP」という名前には、「ジャガイモの山」という意味があるそうです。

『カードキャプターさくら』の原作者である、4人の女性同人作家による創作集団・CLAMP。

昔から、韓国の屋台グルメである「ハリケーンポテト」を、ぜひ一度皆さんに食べてもらいたいと思っていました。

……と、いきなり何の話をしているのでしょうか(笑)。

さて、『カードキャプターさくら』は、2024年にクリアカード編で完全に完了しました。アニメは続編を待っているところです。

今は亡き大魔術師クロウ・リードが魔力を封じ込めたカードの本を、さくらちゃんが自宅の書斎で見つけ、うっかりその大半を飛び散らせてしまうところから始まる「クロウカード編」。

そして、集めたカードを一枚ずつ自分のカードへと「バージョンアップ」していく「さくらカード編」。

さらにその後、中学生になったさくらちゃんと小狼のアフターストーリーである、「クリアカード編」。

アニメの続編がいつ放送されるのか、今でも楽しみに待っています。

今でこそ、OTT(動画配信サービス)もありますし、韓国でもLaftelのような正規配信サービスが、日本の最新アニメに数日以内で字幕を付けて配信してくれる時代です。

しかし、当時はそうではありませんでした。

いろいろな「大人の事情」によって編集されたり、韓国の声優さんによる吹き替え版になったりした作品を、テレビで見るくらいしか方法がなかったのです。特にあさようのような田舎出身は。

前回も書いた、当時の「特殊能力を持った人たち」(笑)は、自ら日本の秋葉原まで行ってCDや音源を買ってくるか、あるいは日本で大量に商品を仕入れて韓国で販売していた「ボッタリ商人」から手に入れるしかありませんでした。

日本語版のアニメをそのまま見るというのは、それだけ難しいことだったのです。

そんな私にとって、『カードキャプターさくら』は、その壁を初めて突破してくれた作品でした。

なぜなら、放送局がNHKだったからです。

NHKは日本国内だけでなく、世界各地にも放送を届けています。今でも海外のホテルに泊まってテレビをつけると、NHK WORLDを視聴できることが多いですよね。

当時も、いわゆる衛星放送受信用のパラボラアンテナを設置すれば、『カードキャプターさくら』を日本語版のまま見ることができました。

これは当時の私にとって、とても大きな出来事でした。

もっとも、さくらちゃんを私以上に好きだったのは、実は姉でした。

私よりちょうど1歳年上の姉は、さくらちゃんの明るく、元気で、そして可愛らしい姿から、思春期の難しい時期に大きな心の励ましをもらったそうです。

さくらちゃんの映像やCD、グッズなどを集め、クロウカードのコレクションブック「The Crow」まで持っていました。

しかも、さくらちゃんとの出会いをきっかけに大学で日本語・日本文学を専攻することになったのですから、今振り返ってみると、私も姉からかなり大きな影響を受けていたのだと思います。

1999年、あさようは中学3年生になりました。

思春期の激しい揺れも少しずつ落ち着き、2年間あれこれ悩みながら試行錯誤したおかげで、アニメを楽しみながらも勉強にもしっかり取り組むコツを、ようやく身につけることができました。

成績もかなり上がったので、両親も少し安心してくれたようです。

そんなある日、姉と一緒に『カードキャプターさくら』を見ながら、インターネットでいろいろな情報を探していました。

そこで出会ったのが、「Dr. Einstein」という方のホームページでした。

そこには『カードキャプターさくら』の基本的な情報だけでなく、作品について深く掘り下げた、まるで論文のような考察記事がいくつも掲載されていました。

私はそれを読んで大きな影響を受け、自分でも『カードキャプターさくら』について分析する文章をいくつも書いてみるようになりました。

最初は、PC通信サービス、チョルリアンの『怪盗セイント・テール』ファンクラブ――Saint Tail Fan Club、略してSTFC――に投稿していました。

すると、「トチ(도치)」という方が私の文章に対して意見や感想を書いてくださり、まるでキャッチボールをするように、お互い文章をやり取りしていた記憶があります。

当時、私は中学3年生。トチさんは社会人の女性でした。

文章でもチャットでも、とても優しく私の書いたものについてアドバイスをくださり、いろいろなことを教えてくださいました。

一度も直接お会いしたことはありませんが、今でも心の底から感謝しています。

『天使少女ネティ事典』では、情報を集め、分析し、それを分かりやすく体系化して、一つの百科事典のような資料集にまとめました。

一方、『カードキャプターさくら』では、単なる情報収集を超えて、作品の心理描写を深く分析したり、その背景にある知識を調べたり、作者やスタッフが何を意図して作品を作ったのかを考えたりするようになりました。

そして何より、自分自身の考えや意見を組み合わせ、それを整理して、文章として詳しく表現する。

そんな「作文」の技術を、自然と訓練することになったのです。

両親からすれば、

「いったい、うちの息子は何をやっているんだ……?」

という感じだったと思います(笑)。

それでも、学校のテストの成績は悪くなかったので、特に止められることもありませんでした。

そして後になって、先ほど紹介したDr. Einsteinさんともご縁ができ、なんと私の文章をそのホームページに掲載していただくという光栄(?)にも恵まれました。

翌年、ホームページのレイアウトが大きく変わり、私自身も高校1年生になって次第に足が遠のいていきました。そのまま自然と交流も途切れてしまいましたが、今でもどこかでご活躍されているのではないかと思っています。

この頃の私は、まだ日本語をまったく知りませんでした。

本格的に日本語の勉強を始めたわけでもありません。

それでも、『カードキャプターさくら』から受けた影響は、かなり大きかったのだと思います。

何より、『カードキャプターさくら』はNHKを通じて世界各地に放送されていたため、日本語版の作品を見ることが比較的簡単でした。

しかも、さくらちゃんは小学生。

そのため、作中で使われる日本語も、日常会話を中心とした比較的分かりやすいものが多かったのです。

……もちろん、特殊な言葉もたくさんありましたけどね。

例えば「レリーズ(Release)」という言葉の意味を理解するのに、何年もかかりました(笑)。

そして、声優・岩男潤子さんが歌う「夜の歌」を、朝から晩まで繰り返し聴いていました。

歌詞をプリントアウトして、そこに読み方を書き込みながら、何度も何度も暗記したものです。

こうした経験がすべてつながり、私の中に少しずつ積み重なっていたのだと思います。

そして翌年、私の人生を根底からひっくり返すことになる『ラブひな』との出会いが、その眠っていたものを一気に動かす「トリガー」になりました。

『カードキャプターさくら』で育まれた日本への興味、作品を深く分析することの楽しさ、文章を書く経験、そして日本語への漠然とした憧れ。

それらがすべて、『ラブひな』との出会いをきっかけに一本につながっていくことになります。

新世紀、Y2K――2000年からの物語は、次の記事へ続きます。

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