あさようが生まれたのは1984年、경상북도 예천慶尚北道の醴泉(イェチョン)という小さい田舎でした。ソウルと釜山の真ん中、よりは少し右側にあリます。人口2〜3万人の街で、都会とは異なる小さいところでした。ここで高卒までの時間を過ごしており、今も親は故郷に暮らしています。
父は職業軍人でした。故郷には大韓民国空軍の戦闘飛行団があり、高校を卒業した父は副士官として入隊し、2013年に退職するまでの35年間、ひたすら務め上げました。途中で7年ほど大邱(テグ)の飛行団で勤務したこともありますが、大半の時間を醴泉で過ごしました。
母は専業主婦で、書店を営んでいた祖父のもとで育った、いわゆる「文学少女」でした。私の記憶の中で、母はいつも本を読んでいるイメージがあります。高校を卒業して学校の事務室で働き、そのまま父と結婚したため大学には行きませんでしたが、常に本を身近に置き、学びに対する情熱も人一倍強いものでした。
私より1年早く生まれた、一歳違いのお姉さまが一人います。性格は私とは正反対でしたが、活発でしっかり者だったため、内気で慎重だった私は幼い頃からとても頼りにしていた気がします。今は私の友人(!)と結婚し、私の長男であるよう君より1歳年上の娘を育てています。この話はまたいずれ、お話しする機会があるでしょう。
このように、韓国の標準的な4人家族。父は軍務に励み、母は家庭を切り盛りしながら、時に本屋を開いたり副業をしたりして家計を支えていました。父は遅くまで残業に追われるような職場ではなかったため、たいてい午後6時前後には帰宅し、夕食は家族全員で一緒に囲みました。現在のあさようが規則正しい生活習慣を持っていること、朝型人間であること、事務処理が得意なこと、仕事より家庭を優先する姿勢は、きっと両親の影響なのだろうと思います。
我が家はクリスチャンの家庭でした。生まれた時から幼児洗礼を受け、幼少期の日曜日の午前中は常に教会で礼拝を捧げ、神のお言葉に耳を傾け、聖書を読みました。スマートフォンもゲーム機もなかった時代、聖書の言葉はあさようにおいて人生の基準であり、人格の最も根幹となる部分を形作ってくれたと感じています。両親から受け取った最も大切で大きな教育の一つが、まさに聖書と出会いクリスチャンになったことだと、今でも思っています。

生まれてから小学生になるまで、あさようは軍の基地内にある官舎で暮らし、小学校に入学するタイミングで市街地へ引っ越しました。母は副業としてキリスト教関連の書店を営むこともありました。小学生のあさようは、店に帰るとまず母が用意してくれた昼食を食べ、学校の宿題を終わらせて問題集を3〜4ページほど解いた後、書店の本を読みながら一日を過ごしていたように思います。店の本の中には子ども向けの聖書のお話をまとめた本があり、それを片っ端から読んでいるうちに自然と聖書の知識が身につきました。そのおかげで教会で開催される聖書競技大会に出場し、地域大会では6年連続で金賞を受賞しました。県大会(道大会)では苦杯をなめましたが、大会に出場するためにあちこちの修養会などを訪れたことは、まるで旅行気分で楽しかった記憶があります。
3〜4日ほど父が夏休みを取ると、家族みんなでテントと食料を小さな中型車に詰め込み、海や山へと出かけました。カーナビもなかった時代に、よく一冊の地図だけを頼りに遠くまで旅行できたものだと、今振り返ると不思議な心地がします。教会の集まりで父に連れられて登山に行き、その帰り道に銭湯(お風呂)と夕食を済ませることもよくありました。この時の体験が、今でも一人で登山や温泉、食事といったアウトドアを楽しむきっかけになったのだと思います。
小学校生活はかなり無難だったと思います。毎日少しずつ勉強する習慣のおかげで、 特にガリガリ勉強をしなくてもそれなりに 成績が出ました。インターネットもスマホもない時代だったので、友達は何か気になることがあると私のところへ聞きに来ましたし、私は本で調べるなりして友達に勉強を教えたり、質問に答えたりすることが多かったです。おそらくこの頃から、「誰かに自分の知識を分かりやすく教えることは、最高の勉強法である」ということを自然と体得したのではないでしょうか。
あさようの母方の実家はソウルにありました。小さなマンションで古書を扱っていた祖父母に会いに上京し、夏休みや冬休みには1〜2週間ほど過ごした記憶があります。当時はまだ4号線までしかなかったソウルの地下鉄に乗るのが、とても新鮮で不思議でした。母が書店の商品を問屋で選んでいる間、こんなにも多くのものがあることに驚き、しばらくの間キョロキョロと見回していました。故郷にはない大都市の夜景、ソウルタワー、 ソウル子供大公園、テーマパーク、63ビルなどを、その頃に思う存分満喫しましたね。幼い私とお姉さまにたくさんの思い出を作り、様々な体験をさせてくれた両親には、改めて感謝の気持ちしかありません。
そんなあさようは、幼い頃からアニメが大好きでした。『달려라 하니走れハニー』や『날아라 슈퍼보드 飛べ!スーパーボード』といった韓国製アニメに続き、小学校時代に好きだったアニメといえば、『요술가족 (魔法のスター マジカルエミ)』、『란마1/2 (らんま1/2)』、『뾰로롱 꼬마마녀 (魔法のエンジェル スイートミント)』、『피구왕 통키 (炎の闘球児 ドッジ弾平)』などがありました。後に『怪盗セイント・テール』にも大きな影響を与えた『魔法のスター マジカルエミ』は美少女アイドルに目覚めるきっかけだったでしょうし、『らんま1/2』は昭和時代の日本の日常に対する知識と憧れを与えてくれました。世界各国を紹介する百科事典を開くと真っ先に「日本」が出てきて、「近くて遠い国」というキャッチコピーが常に目を引きました。まさか日本語を独学で勉強して留学し、定住することになるとは思いもしなかった頃のことです(笑)。
すべての始まりは1996年、あさようが小学校6年生になった時だったと思います。家のパソコンにインターネットをつなぎ、強烈な最初の作品『천사소녀 네티 (怪盗セイント・テール)』と出会ったお話は、次の記事へと続きます。
